いったいどっちだ?

この前日本棋院にいってきたよ。
目的は囲碁殿堂資料館だったけど、物販に行ったら、
自由にお読みくださいっていうところに「天地明察」があったから立ち読み。

この物語だと、安井算哲は
「勝負の世界に飽きた」
っていう形で天文方に行ったみたいな書き方してあった。

当時の碁打ちは真剣勝負はまず打たないし、御城碁にも実力者は登場しない。
そして、単に勝ち負けを争うことに興味がない。

っていう感じ。

でも、自分自身囲碁が好きだから、
「算哲が囲碁に飽きが来てたからやめた」
っていう説に反対ってわけじゃなくて、僕なりの算哲が天文方に行った推測を。

たぶんほとんどの人は知らないだろうけど、(プロでも知ってる人まずいないかも)
算哲が当主をやってた安井家は、初代算哲の安井家の傍家みたいなものだったんだよね。
直系の安井家は知哲が当主をしてたほう。

家元としての権威をかけた勝負は算哲よりも、知哲が担当してた。

だから、算哲自身は確かに真剣勝負をしてないかもしれない。
だから算哲は勝負に飽きが来てたっていう可能性はあるね。

ここからが本題。

当時の将軍は「徳川綱吉」
これが重要な鍵を握ってると見た!

綱吉は犬奉行としてばかり有名だけど、実は学問を重視して発展させた将軍。
暦も、綱吉以前の将軍は、既にずれてるのを知りつつも放置してた。

そこに綱吉の登場!

綱吉は優秀な学者を見つけては政治に活かしてた。
で、天文学について優秀な算哲に目をつけたわけ。
それまで実権を握って、他の人物が暦を変えないようにがんばってた天文方をやめさせて、
算哲に暦を直すよう命令。

囲碁では道策に全く歯が立たなかったけど、
「天文方としてなら自分を活かせる」
って考えて囲碁からはなれたんじゃないかって推測。

もし、将軍が綱吉じゃなかったら、天文学の知識を活かせなくて、勝負の世界にいただろうな。
算哲がいた時期に、道策、綱吉っていう存在があったから、天文方渋川春海
っていう人が生まれた。

という個人的な推察でした
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