道知の頃の囲碁界

囲碁史上最強は誰?
って企画はもともと道知が過小評価されてるから、1位にしたくて始めたんだよね^^
実際は道策とどっちが強いかは、神のみぞならぬ「道知のみぞ知る」ってとこかな?
でも、資料は道策並の評価が与えられてたってことを記してるから、
道策と道知のどっちかが本当の意味の碁聖ってことになりそうだね。

ところでこの道知、肝心の御城碁の成績はぱっとしないんだよね。
たぶんそこが評価されない大きな理由だろうな。

逆に黒番がかなり多いけど全勝の秀策はめちゃくちゃ評価高いよね。
道策も御城碁は、置かせた碁しか負けてないし、丈和も成績かなりいい。
この三人が江戸時代の碁聖ってことに今はなってるよね。

じゃあなんで道策並みに強いはずの道知が、御城碁の成績が悪かったかっていうと、

この時代の御城碁は、黒番を持った者に勝ちを譲る

っていう不文律みたいなのがあったから。

道知が独立した頃からしばらくは、どの組み合わせを見ても黒番勝ち。
理由はわからないけど、田村竜騎兵さん風にいうと「馴れ合って」
福井正明さんによると「道節が囲碁界を平穏にしようとしたから」
勝敗をはっきりつけないで、とにかく白を持ったら負けるっていう風潮が出来てた。

でもこれが林家の歴代No.1の「因長」の時代になると、
林&井上vs本因坊&安井
っていう激しいバトルになってるから、

道知が強すぎて他三家が歯が立たないから

三家の顔を立てるために道節が何か言ったのかもね。
そして道知はまだ10代だったから、そういう風潮に従わざるをえなかった(福井正明)んだろうね。

13歳四段で囲碁史に登場して、17歳で七段。
今風に言うと小学生でタイトル戦本戦出場クラス。
高校生1、2年生で三大タイトルクラス。
で、「10年遅れたり」の言葉が真実とするならば20歳くらいで道策、道節クラス。

あまりにも早く強くなりすぎたのが罪だったんだろうな。

今じゃ道策すら知らないプロもいて、道知なんて「誰?」って言われかねないくらいだけど、
瀬越憲作さんが御城碁譜で

「江戸囲碁史上第1位は道策、第2位は丈和で、第3位以降は言わない
 (それ以外の棋士はこの2人に確実に及ばない)
 というのが一般的な評価だけど、少なくともこの2人の間、
 あるいは道策の上にランクされるかもしれない」(ゆっきん意訳)

っていう風に碁士列伝で紹介してくれてたのがすごくうれしかった。

もし一人だけ好きな碁打ちを生き返らせることが出来るなら・・・
道知を選んで、そして力いっぱい打たせてあげたい。
道策クラスの実力があったのに、37歳の短い生涯の中で、
20歳以降ちょっとでも力を入れた碁が屋良里之子との碁くらいしかない
なんてなぁ・・・




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